大和ハウスの想いつながる
7つのエピソード
1950年代後半、大阪府が開発する日本初の大規模ニュータウン「千里ニュータウン」の開発が話題になっていたころ、創業者?石橋信夫は「自前で宅地を造成して、プレハブ住宅とセットで売る」という構想を立てていた。そして1961年、大和ハウス工業など4社が出資し、日本初の本格的な民間デベロッパー?大和団地が誕生。まずは大阪府羽曳野市の約100萬㎡、3000戸分の広さをもつ土地を確保し、開発に著手する。大和団地が手掛ける一連の大規模団地は、ギリシャ語で「新しい(ネオ)都市國家(ポリス)」を意味する「ネオポリス」と名付けられた。
この「羽曳野ネオポリス」では現在の住宅ローンの先駆けとなる「住宅サービスプラン」を導入する。當時、マイホームを持つためには長い月日をかけて資金を貯め、まず土地を手に入れ、それから建築資金を作るという流れが一般的であった。しかし、この「住宅サービスプラン」によって、マイホームを手に入れやすくなったうえ、もしもの時には生命保険で完済できる団體生命保険も加えたことで、「羽曳野ネオポリス」は順調に販売。成功を収めることになる。
さらに1960年代後半には、大和ハウス工業単獨での大規模都市開発に乗り出す。兵庫県三木市にある100萬㎡を超える土地の開発を進めることになるが、用地買収や100年の歴史をもつ農業用疎水の保証問題?改修工事など問題が山積み。しかし擔當者が古くからの住宅を1軒ずつ訪ね、何度も話し合いをして信頼を獲得していった。大きな道路を設置するなど、まちに新しい価値を生み出す構想だったことも功を奏し、地元や自治體の同意を得ることができた。
単なる宅地開発ではなく、あくまでも生活環境を創りあげていくことを念頭において出來上がった緑豊かな土地は「緑が丘ネオポリス」として、1971年から順次入居が始まった。その後もまちづくりを進め、総計約300萬㎡、東京ドーム65個分の広大な団地となり現在に至る。
大和ハウス工業が手がけたネオポリスは、全國に61ヵ所。今日では、入居開始から半世紀を超える団地も多數あり、開発當時には想定しなかった少子高齢化や人口減少、空き家の増加をはじめさまざまな問題が顕在化している。
そこで、現在お住まいの方には住み慣れた地域で安心かつ快適に住み続けていただき、外からも新たに移り住みたいと思っていただける魅力的なまちづくりを考える「リブネスタウンプロジェクト」を2013年からスタート。地域の皆さまと共創し、団地を「再耕」することを目的としたもので、現在は全國8ヵ所のネオポリスでプロジェクトを進めている。
プロジェクト擔當者は、住民の現在の生活や課題を聞くため、現地に足繁く通ってコミュニケーションをとり、地域の行事などに參加?協力するといった活動を地道に積み重ねることで、徐々に信頼を得ながら、再耕活動につなげている。例えば、擔い手不足で中止になった夏祭りの復活やマルシェなど地域イベントの開催のサポート、空き家を活用した住まい手同士の交流施設の開設などである。地域?行政?企業が連攜しながら、安心して住み続けることのできる魅力的なまちづくりの再耕を進めている。
「リブネスタウンプロジェクト」では、団地內での「高齢者の住み継ぎ」と「若い世代の流入」による持続発展するまちづくりを目指している。
高齢者の新たな住まいの選択肢として、見守りサービスなどを行う高齢者向けの「住み継ぎ住宅」を整備して団地內での住み替えを促進。介護を必要として地域外への転居を検討していた高齢者が、住み慣れた団地內にとどまる選択肢をつくることができる。
一方、高齢者の住み替えによって生じた空き家は、リフォームして団地外から流入する若い世代に引き継いでいく。こうして新たな住民を呼び込むことで、居住世代の偏りをなくしながら持続発展できるまちづくりを検討しているのだ。
大和ハウス工業では、「つくった責任」を果たすべく、『住み続けられ、新たに住みたくなる、持続発展するまち』を地域の住まい手と共に創り続けていく。