大和ハウスの想いつながる
7つのエピソード
「空が狹い吉野から雄飛したい」
そう願っていた創業者?石橋信夫は、創業當時から海外での事業を視野に入れていた。
創業6年目1960年。早くも東京支店に海外擔當を置き、翌年にはシンガポールに合弁會社を立ち上げ、シンガポール、マレーシアに進出した日系企業の工場、倉庫などを建設した。1964年には本拠をタイに移し、1967年にはフィリピンに合弁會社を設立するなど、石橋は描いた夢を次々と実現。なかでもブラジルでの成功は特筆すべきものがある。
1960年代後半、日本の企業はこぞってブラジルに進出する姿勢をみせていた。そんななか石橋は、同國に単獨で會社を設立するよりも、できれば信頼のおける建設會社と合弁で事業を起こしたいと考えていた。そこで紹介されたのが、現地で建設請負業者として絶大な信頼を得ていた下村建設。當初、下村建設側は難色を示していたが、石橋の「ブラジルでは80年間かけて築いてこられた日系人の信用を大切にして仕事をしなければならない。現地にはまだ存在しない産業を持っていって貢獻するという気持ちだ」という想いが通じ、1974年、サンパウロ市內に合弁會社シマムラ?ダイワハウスを設立したのだ。
ブラジルの國土は日本の約22倍、その分スケールも大きい。石橋は、大和ハウス工業から派遣した社員に対し「日本國籍を抜いていけ。現地の人間になりきることだ」と伝えるほど、現地のために働き、貢獻することを願った。
他の大手建築會社は日本主導型の進出によって失敗するケースもあったが、シマムラ?ダイワハウスはブラジル連邦政府の事業である1萬戸勤労者住宅をパラマ州に建設。1981年に石橋は「州民の福利および生活向上に著しく貢獻した」として、州より最高勲章を贈られている。ブラジルでは11年のあいだに、30を超える地區で約2萬戸の住宅を建てる実績を作った。
次に目を向けたのはアメリカ。1976年、シリコンバレーの中心地で人口増加が著しいサンフランシスコ郊外のサンノゼに「ダイワハウス?コーポレーション?オブ?アメリカ」を設立したのを皮切りに、4つの現地法人を構え、総計1萬戸の住宅を建設する。
他にもオーストラリアのマンション事業など、一時は24か國に進出したが、1984年、アメリカの不動産不況をきっかけにひとまず中國を除いてすべて撤退することに。アメリカに再び進出したのは、撤退から27年後、2011年のことだった。
2011年、かつて最初に拠點をおいたサンノゼに「ダイワハウス?カリフォルニア」を設立。現地で賃貸住宅一棟(42戸)を購入し、管理?運営からスタート。日本人社員は4名、ここでアメリカでのビジネスをゼロから勉強し直そうという試みだった。2014年には管理戸數で全米3位を占めるリンカーン社と業務提攜を行い、新たに賃貸住宅を建設。計716戸の管理?運営を始める。日本で培ってきた不動産開発および賃貸住宅事業のノウハウを活かして、現地の人に快適な住まいを提供している。
現在では賃貸住宅だけでなく、分譲マンション、商業施設、物流施設開発など、アメリカ各地の都市で10を超えるプロジェクトが進行している。また、戸建住宅事業では、2017年から2021年にかけてグループ入りしたホームビルダー3社が、豊富な経験を活かし良質な住宅を供給しており、大和ハウスグループのアメリカでの戸建住宅供給數は年間7,000戸を超える。
さらには、アジアから歐州、アフリカ、中南米まで、多くの國?地域に事業を拡大。言語も文化も異なる地での事業は非常に難しいが、まずはその土地に根付き、受け入れられること。そして地域の人々と同じ視線でまちづくりをする「地域密著型の海外事業」を展開している。