第7回 ダイワハウスコンペティション 後援:株式會社新建築社
- ■審査委員より
- 「ダイワハウスコンペティション」は今年で7年目になります。
5年目から論文コンペティションとなり、第5回は「これからのすまい」、第6回は「住宅の公共性」をテーマに數多くの論文を応募いただきました。
今年は、コンペティションのテーマ會議が開かれる約1カ月前、東日本大震災により東北地方、関東地方をはじめ、各地で甚大な被害が起きました。津波は多くの街をのみ込み、シェルターであるべき建築を破壊しました。また、原子力発電所では水素爆発が起き、原子爐建屋は破壊され、見えない放射能の恐怖に人びとは今も曝されています。
自然の破壊力を前にしてさまざまな問題に直面する今、私たちは一體何ができるのでしょうか。
住宅や街の新たな創造が求められる中で、建築に攜わるひとりひとりに問いかけたいと思います。
これからの日本の復興に向けて、力強い提案を求めます。
- ■審査委員長:山本理顕
- 助け合って住む???私たちはなぜそれを偽善のように考えてきたのか
- 石巻に行った。そこで偶然お會いした女性(63歳)は津波でご主人を亡くされ、寢たきりだった義理のお母さんも點滴ができなくなって亡くなられてしまった。住宅の中は瓦礫と布団と家具とヘドロが散亂している。ここまで水がきましたというその長押のあたりまで這い上がって助かったのだと説明してくれた。これからは障害のある娘とふたりきりだけど、でも回りの人たちが助けてくれます、と言った。「助け合う」という切実な言葉がこのすべて失われた場所を支えていた。私たちは「助け合って住む」ということを偽善のように考えてこなかったのか。それが偽善だということを前提に今の都市や建築はつくられてきたのではないのか。できるだけ誰にも干渉されたくない。干渉されない自由がある。その自由こそ私たちの身體化された感性である、そう思い込んでこなかったか。私たち計畫者自身がそう思ってこなかっただろうか。

山本理顕/やまもと?りけん
1945年北京生まれ
1968年日本大學理工學部建築學科卒業
1971年東京藝術大學大學院美術研究科建築専攻修了後、東京大學生産技術研究所(原研究室)
1973年山本理顕設計工場設立
2002年~2007年工學院大學教授
2007年~2011年橫浜國立大學大學院教授
- ■審査委員:藤森照信
- 生産と消費???生産があれば同じだけの破壊と消失がなければバランスがとれない
- 生産があれば、同じだけの消費がなければ、ものは回らない。生産があれば、同じだけの破壊と消失がなければ、バランスはとれない。
にもかかわらず、20世紀の工業化社會と建築界は、ひたすら生産面に著目して理論を組み立て、美學を生み、工業製品と建築をつくり出してきた。車のように建築をつくろうとしたル?コルビュジエも、科學?技術こそ建築の根本であると考えたグロピウスも、そうした20世紀の子であった。
消費と、その極端なかたちである破壊と消失を基に建築を考えたのは、関東大震災の後の今和次郎だけしか私は知らない。そして彼は、建築界を去った。
建築についての新しい思考はどこから芽を吹くのか、それを知りたい。

藤森照信/ふじもり?てるのぶ
1946年長野県生まれ
1971年東北大學工學部建築學科卒業
1978年東京大學大學院修了
1985年東京大學助教授
1998年~2010年東京大學教授
2010年~工學院大學教授
- ■審査委員:千葉學
- 人の集まり方をデザインする???均質化してきた近代都市のあり方を見直そう
- 3月11日以降、建築に攜わる人たちは、何を考え、何を思っているのだろう。少なくとも僕は、あらゆる社會資本を個人に還元し、都市も地方も、農村も漁村も、山の上も海の近くも、同じように均質化してきた近代の社會や都市のあり方を見直す必要があると思っている。同時にその個人に還元された土地の上で、空間の実験を繰り返すことで都市の均質化を補強してきた建築家のあり方をも見直す時だと思っている。そもそも自然は、一建築で立ち向かえるものでもなければ、巨大な堤防で打ち勝てるものでもない。自然の振る舞いを理解し、土地の特性を読んで、土地や空間の私有/共用のありよう、つまりは人の集まり方をデザインする、それは実は建築家にとって最も基本的な技術だったはずであるし、このことによってはじめて自然と共に生きる街や建築は実現できるとも思う。
今回の震災で、建築は確かに無力であった。しかし建築的知恵は、今なお必要とされている。ぜひ前向きで、力強い提案を期待したい。

千葉學/ちば?まなぶ
1960年東京都生まれ
1985年東京大學工學部建築學科卒業
1987年同大學大學院工學系研究科建築學専攻修士課程修了
1987年~1993年日本設計
2001年千葉學建築計畫事務所設立
現在、東京大學大學院工學系研究科建築學専攻準教授、早稲田大學蕓術學校、日本女子大學非常勤講師
- ■審査委員:松山巖
- 冷徹な聲を、情の篤い聲を???これまで聲をあげなかった多くの人たちの聲を必要としている
- 事態は刻々と変化している。いまは福島原発の1號機がメルトダウンを、じつは震災直後に起こしていた事実が発表された時點だ。これから梅雨に入り、酷暑の夏を迎え、瓦礫は腐り、臺風が被災地を襲う危険性もある。大きな余震の起きる可能性も少なくない。
その狀況の変化に応じてさまざまな復興計畫も変更されるだけでなく、新たな問題が被災地ばかりか日本全體に點々と堆積するはずだ。さらに世界にも問題は波及し、波及した問題は日本に押し寄せるはずだ。時間は無慈悲に過ぎてゆく。この狀況下で論文コンペを行うことは無謀かもしれない。しかし同時に私たちはこれまで聲を上げなかった、多くの人たちの聲を必要としている。なぜならマスメディアには限界があり、建設や建築に攜わる人びとの聲はなかなか私たちの耳に屆かないからである。
復興には今後、どれほどの時間を必要とするのか。5年、10年、20年と長期戦になるだろう。長期戦に備えれば、計畫はスケールは大きくなるが、當然、冷酷になる。現場の小さな聲を斬り捨てざるを得ず、選択を迫られるからだ。しかし、だからといって矛盾は解消されるわけではない。矛盾が押し寄せ、悩むのは、日々生活している生身の、個々の人びとであり、その人びとに対応して瞬時に働く現場の人たちである。
だから現場では情の篤い聲を要し、しかし大局からは冷徹な聲が求められる。どちらが正しいということはない。したがって今回のコンペでは、もしかすれば論文に優劣の差を付けることは、私にはできないかもしれない。せめていくつかの論文をヒントに「私たちになにができるのか」、この問いをさらに重ねたい。そのためにも多様多彩な聲を求める。

松山巖/まつやま?いわお
1945年東京都生まれ
1970年東京藝術大學美術學部建築科卒業
1984年『亂歩と東京』で日本推理作家協會賞受賞
1993年『うわさの遠近法』でサントリー學蕓賞受賞
1996年『闇の中の石』で伊藤整文學賞受賞
1997年『群集』で読売文學賞受賞
- ■審査委員:西村達志
- 「住む」「暮らす」ことの根本とは???危機を直視し希望ある未來の提案を
- 私たちは過去の震災から學び、地震に強い住宅を提供し続けてきたつもりだ。
しかし、今回は激震だけでなく津波や原発による放射能汚染という難題を同時に突きつけられ、改めて大自然の脅威と文明の脆さを見せつけられた。
津波に直撃され文字通り「消滅」してしまった地區がいくつもある。
一方で先人の教訓を石碑に刻み、その教えを護って被害を受けなかった集落もある。
したがって、人智が及ばなかったわけではない。まだ救いはあるのだ。
私たちはこの20年にも満たない期間に神戸、中越など様々な災害に見舞われながら、本當の意味で學習し、意味のある対策を施してきたのだろうか。
おそらく、人びとが安全で、安心して「住む」「暮らす」ということを根本的に考え直す必要がある。
そして謙虛で賢明なる判斷と、粛々と実行する覚悟や勇気が試されることになるだろう。
壯大なテーマではあるが、今だからこそ、この危機を直視し、希望のある未來を提案していただきたい。

西村達志/にしむら?たつし
1949年宮崎県生まれ
1972年京都大學工學部建築學科卒業
1972年大和ハウス工業入社
現在、大和ハウス工業代表取締役専務執行役員