
現(xiàn)代に継承される氷川神社
そもそも氷川神社とは、水の神、農(nóng)耕の神を祀る場(chǎng)として営まれたのが起源とされます。
かつて神社の東側(cè)には見沼(みぬま)と呼ばれる無(wú)數(shù)の沼?濕地帯が広がり、豊かな土壌がありました。その見沼濕地のほとりに位置する「大宮臺(tái)地」には、こんこんと水の湧き出る場(chǎng)所があり、神聖な水をたたえるその場(chǎng)所が「氷川神社」となったのです。また、高鼻町周辺は、大宮臺(tái)地の中でも鼻のように突き出た位置にあったことから、一帯が「高鼻」と呼稱されるようになったと言われています。
「氷川神社」は今から2000年以上昔、第五代孝昭天皇の御代に創(chuàng)立されたとの伝えがあり、明治維新を迎えて一層の発展をみせることになります。1868年(明治元年)、明治天皇は御所を京都から現(xiàn)在の皇居の地に移しました。
同年10月28日、この地に行幸すると、天皇自ら祭儀を執(zhí)り行い、さらに1870年(明治3年)11月1日、再び行幸。この時(shí)の行列は京都からの遷都と同様、非常に荘厳なものだったと伝わっています。現(xiàn)在でも60もの年中行事が行われ、初詣や 茅(ち)の輪くぐり、夏まつり、大湯祭(※)など季節(jié)の祭禮に大勢(shì)の人で賑わいをみせます。
また、「氷川神社」の周囲にひろがる広大な敷地は、明治政府により國(guó)有化され、1885年(明治18年)に現(xiàn)在の「大宮公園」が誕生しました。春には「日本さくら名所百選」に數(shù)えられる約1200本のサクラが咲き誇り、 樹齢100年を超える赤松林などに囲まれ、四季折々の変化を身近に感じることができます。
(※)12月10日の本祭に酉の市がたつため、十日市(とおかまち)?熊手市とも呼ばれる師走の風(fēng)物詩(shī)。
- 巨樹のトンネルの先、「氷川參道」の終わりを告げる「三の鳥居」が見える。
- 祝詞(のりと)を唱える神職。自然と背筋が伸びる。
- 早朝に境內(nèi)を掃除する巫女の姿。
- 「拝殿」の手前に建つ「舞殿(ぶでん)」。雅楽の演奏會(huì)も行われる。
- 春には桜が咲き誇り絶景となる「大宮公園」。
