山間の鄙の溫泉場は神話と共に佇んでいた-霧島市隼人町~牧園町「妙見溫泉郷」
- 更新日:2016年05月04日
- カテゴリ:周辺情報
現在の霧島市の國分平野には
古代神話で “熊襲”(くまそ)
と呼ばれた部族が住んでいました。
(後に 隼人族の祖とも言われています)
熊のように猛々しく、勇ましい人々だったとされ、大和朝廷に抵抗し、
景行天皇の息子:日本武尊(やまとたけるのみこと)の熊襲討伐の物語は
古事記や日本書記にも登場します。
その熊襲族が住居していた穴とされる
「熊襲の穴」は、
霧島市隼人町の「妙見溫泉郷」にあります。
熊襲の首領:川上タケルが
女裝した日本武尊によって殺害されました。
この時、川上タケルが息絶える直前に
日本武尊と命名したことから、一名嬢著(じょうちゃく)の穴ともいわれます。
國道223號沿いに案內表示があり、
そこから山道を上って行きます。
辿り著いたのは
大きな巖肌の下に少し空間が空いた場所。
身をかがめながら巖の隙間から中に入ると、
大きな空間が広がります。
奧行き22メートル、幅10メートル、高さ6メートルの広さだそうです。
壁には鹿児島県出身の
前衛畫家:萩原貞行氏が
古代熊襲族をイメージした様々な図柄が描かれた
秘的な空間です。
これは
熊襲の住居というよりも、
神事をなど執り行ったところではないかと感じました。
歩いて、
天降川(あもりがわ)の沿いの妙見溫泉を散策。
旅館や食堂、お土産屋さんが軒を連ね、
溫泉街というほどの規模はありませんが、
自然豊かな溫泉郷です。
平安時代にはすでに溫泉が湧いていたとされ、
明治時代中期に現在の妙見溫泉の名がつけられたそうです。
湯治の為の素泊まりの宿から、
和風旅館まで様々な宿が建ち、訪れる方々をもてなします。
近くには、
今なお働く有形文化財に指定された石造りの水力発電所もあります。
歌人、斉藤茂吉は
『日當山 妙見 安楽 塩浸 湯は沸きいでて くすしき國ぞ』と
湯の町の神秘を歌いました。
そして、天降川をまたぐ木造の“くすしき國の虹のつり橋”。
古くから鄙(ひな)の山間の湯治場として栄えた妙見溫泉は、
天降川の水面の風と共に、今でもその面影を伝えているようでした。
熊襲の穴(妙見溫泉郷)
霧島市隼人町嘉例川
電話 0995-45-5111
(霧島市観光課)
RC霧島妙見臺より約9㎞
寫真はすべて平成28年4月撮影