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全區(qū)畫溫泉付!別府灣を望む、海辺のスローライフ。別荘、定住どちらも楽しめます。
釣りの合間の3月24日、またまたおっちゃん二人で、 県南へ足を延ばしました ちょうど、東九州道の佐伯IC~延岡間の開通記念で、 3月一杯、その區(qū)間のみ無(wú)料で通行できるらしく、 延岡まではやりすぎですが、蒲江くらいまでは、 行ってみようかな、のノリでした
まず、臼杵の石仏をば訪ねむとて、臼杵ICを出て、左折、 2kmくらいで石仏公園駐車場(chǎng)に到著、 小川に沿って上って行きます
國(guó)寶でもある石仏文化の來(lái)歴というか、淺學(xué)不明で申し訳ないの ですが、そも日本の仏教は、聖徳太子の四天王寺にはじまり、 聖武天皇の平城京を中心にした國(guó)分寺の全國(guó)展開、 大分では、國(guó)東の富貴寺(ふきじ)や、両子寺(ふたごじ)などが、 神仏習(xí)合の山寺として718年に建立され、仏教の全國(guó)伝播を 知らしめています。 その後、仏教が政治に関與することはどうなのかの動(dòng)きからか、 平安京の桓武天皇は、密教を推奨、唐に渡っていた、空海?最澄を バックアップしました。 全國(guó)に山寺が多い理由は、山岳信仰に基づく山の神との神仏習(xí)合と、 密教のありかとしての高野山や比叡山などの山があるからのようです。 他方、臼杵の石仏はじめ、大分県には國(guó)東半島中心に、 全國(guó)の磨崖仏の6~7割が殘存しており、ほとんどが平安時(shí)代から 鎌倉(cāng)時(shí)代にかけて彫られています。 この理由については、阿蘇の破砕流の凝灰?guī)rが、風(fēng)化もしやすいが、 加工しやすかったこと、末法思想で、阿彌陀如來(lái)にすがって極楽浄土を 願(yuàn)うため、個(gè)人的あるいは一族的願(yuàn)望で新しい阿彌陀如來(lái)を彫り続けた からのようです。 その最たる豪族が、宇佐神宮の神官として著任した 大神(おおみわ←三輪)氏で、速見の大神(おおが)に名を殘し、 國(guó)東半島の磨崖仏に多大の影響力を殘しています。 臼杵の石仏は、後に源氏に加擔(dān)することになる豊後大野の大神一族の 祖、惟基(これもと)の本願(yuàn)地にあって、阿蘇を源流の一つとする 大野川水系を支配下においていたことも、関連性があったのではと 思われます 平成7年6月15日に、臼杵の石仏は、磨崖仏として全國(guó)初の國(guó)寶に 指定されました。 石仏群は4群に分かれ、地名によって、 ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、同第2群、山王山石仏、 古園石仏と名づけられています。 『臼杵煎餅』の絵柄の大日如來(lái)坐像は、AKB風(fēng)に言うと、 古園石仏のセンターなのですぃね 殘念ながら、4群のいずれであったかを毎度失念するせいで、 今回もそのご尊顔に拝謁はかないませんでした。
◆ホキ石仏第2群第2龕(がん)九品仏のセンター 阿彌陀如來(lái)坐像です。
風(fēng)化が早いため、雨露をしのぐための伽藍(lán)が設(shè)えられたり、 手厚く護(hù)られている日本の文化財(cái)と、IS國(guó)などに 蹂躙破壊される 世界的遺産との彼我の違いに、ふと世界平和を思うのでありました
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【臼杵の石仏:杵築リゾートより、約68km】 (平成27年3月撮影)
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