【オーナー日記】#14 お盆
- 更新日:2014年09月13日
- カテゴリ:オーナー日記
8月のお盆の頃には東名高速にしろ、東北道にしろ“50㎞の渋滯”のニュースが出足を挫き、在職中は少し遅らせて秋祭りのころか紅葉の季節に帰省するようにしていた。
今年は県內に居り、久しぶりに生家のお盆を一泊で訪ね、焼香させてもらった。
神奈川にある妻の生家では7月がお盆月だが、巖手の自分の生家は8月に行う(14日~16日)。
このお盆行事の日程には全國的に3通りのやり方があるという。明治に舊歴から新暦に移行する時の対応の違いらしい。地域単位なのか宗教単位なのかは分からない。
また、やり方にも神奈川との違いが2~3ある。神奈川では13日にキュウリの馬とナスの牛を常口に飾り、迎え火を焚き、16日に送りをする。自分のところでは13日の迎え火は焚かず、期間中3日間墓參する。
今回も子どもの頃に見たように座敷に精霊棚が作られていた。花や燈篭飾り等が豪華になり、昔はなかった精霊馬と牛が棚に飾られていた。

子どもの頃になかったと思うもう1つは親戚同士がお供え物をもって相互に訪問し合うこと。お盆前に相當量の供え物を買い込むらしい。すでに10數個が段飾りの脇に積まれていたし、“ご仏前”として金品を供える人もいた。
このお盆行事の日程には全國的に3通りのやり方があるという。明治に舊歴から新暦に移行する時の対応の違いらしい。地域単位なのか宗教単位なのかは分からない。
また、やり方にも神奈川との違いが2~3ある。神奈川では13日にキュウリの馬とナスの牛を常口に飾り、迎え火を焚き、16日に送りをする。自分のところでは13日の迎え火は焚かず、期間中3日間墓參する。
今回も子どもの頃に見たように座敷に精霊棚が作られていた。花や燈篭飾り等が豪華になり、昔はなかった精霊馬と牛が棚に飾られていた。

子どもの頃になかったと思うもう1つは親戚同士がお供え物をもって相互に訪問し合うこと。お盆前に相當量の供え物を買い込むらしい。すでに10數個が段飾りの脇に積まれていたし、“ご仏前”として金品を供える人もいた。
お盆中の3日間、家族総出で墓所に行って果物や菓子を供え、線香や松明を燈す。帰ってくると常口に松明を焚くと共に新盆から3年は48本の燈明を上げる。

16日の送りの日には12時前からお供えをして、12時の合図を待って“こも”で作った船を川に流す。

この船は広げた“こも”の上に山ブドウの葉を敷き、晝食時に供えていたものを乗せる。


さらにはキュウリの馬とナスの牛、花、小麥粉で“背負子”を作り、これも入れる。

これを簀巻きにして昆布を紐に見立て、あたかも人が背負えるようにする。

これを近くの川に流す。昔のようにお菓子などは包まず、簡素にしているという。今時は流した“こも”を開けてお菓子を貪る子どももいない。
子どものいる街中ではゴミ収集車が待っているという。川を汚さないためにすぐさま回収されるという。
思い起こす子どもの頃のお盆は、遠くから帰ってきた近所の若い人たちが誇らしげに菓子箱をもって、「昨日帰ってきました」と言って顔を出し、近況を告げあっていたもの。父母は包みを解いて、仏前に供えたものである。
それが毎年10ヶを下ることはなく、子ども達は時折、個々にお土産をもらうこともあったが、むしろ、お盆過ぎのお菓子が楽しみだった。
また、午後2時過ぎには家族総出で墓參をする。墓所までの2㎞余りを徒歩で往復した。地のものも帰省したものも、それなりにおしゃれをして都度つど合流して大きく群れた。そう大きくもない墓所が人で溢れかえった。
同級生と會い、親せきと會い、故人を偲ぶ。3日通うとおよその人に會えた。若い時は自分も一生懸命帰った。知る者たちに會い、自分の今を父母に告げた。喜んで貰いたい一心で。
それが毎年10ヶを下ることはなく、子ども達は時折、個々にお土産をもらうこともあったが、むしろ、お盆過ぎのお菓子が楽しみだった。
また、午後2時過ぎには家族総出で墓參をする。墓所までの2㎞余りを徒歩で往復した。地のものも帰省したものも、それなりにおしゃれをして都度つど合流して大きく群れた。そう大きくもない墓所が人で溢れかえった。
同級生と會い、親せきと會い、故人を偲ぶ。3日通うとおよその人に會えた。若い時は自分も一生懸命帰った。知る者たちに會い、自分の今を父母に告げた。喜んで貰いたい一心で。
あれから40年たった今、墓參は一家で車を乗り付け、15分か20分で終わってしまう。また、墓參の時間帯もまちまちで、會える人はほとんどいない。
時間がたちすぎて自他ともに変わりすぎてすれ違っても気が付かないこともあり、後で家族に教えられて殘念この上ないということも少なくない。
お盆も変わってきている。土地の人はすべてが先祖から受け継いだ伝統だというが、供えるものやしきたりが変化してきているのがわかる。
後を継いで生きる者たちは2重3重に思いを込めて手厚くもてなすようになっている。この変化は宗教が教えるものではなく、暮らし向きの変化がそうさせているように思う。
お盆に関する所作などに聞くと様々な矛盾も見え隠れするが、只々、良かれと思う気持ちの積重ねの結果だ。また、伝統とか文化と言うものは過去の決まりではなく、現在を生きているものだろうと思う。
今は亡き両親を思うとき、“命の終わりが関わりの終わりではない“ということに強く共感する。
※オーナー日記は當社からの依頼により、オーナー様の日々の生活の情報をご提供いただき、當社スタッフが更新を行なっています。
後を継いで生きる者たちは2重3重に思いを込めて手厚くもてなすようになっている。この変化は宗教が教えるものではなく、暮らし向きの変化がそうさせているように思う。
お盆に関する所作などに聞くと様々な矛盾も見え隠れするが、只々、良かれと思う気持ちの積重ねの結果だ。また、伝統とか文化と言うものは過去の決まりではなく、現在を生きているものだろうと思う。
今は亡き両親を思うとき、“命の終わりが関わりの終わりではない“ということに強く共感する。
※掲載の寫真は全て平成26年8月撮影
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