大隅國分寺跡
- 更新日:2022年09月30日
- カテゴリ:歴史
皆さん、こんにちは
今回、ご紹介するのは、霧島市の「國分」の名前の由來となった
國分寺をご紹介します。
霧島市國分中央の住宅街の一角に、緑の芝で覆われた広場の中に、
大きな銀杏の木と石像があり、その石像は前から気になっていました。
その石像の説明書きには、
霧島市、「國分」の名の由來となりました國分寺は、奈良時代に
聖武天皇の勅願によって設置されて寺院で、僧寺と尼寺がありました。
正式名稱は、僧寺を「金光明四天王護國之寺、尼寺を「法華滅罪之寺」
と言います。(省略)
聖武天皇は、鎮護國家と五穀豊穣を願って、天平十三年(741)、
國分寺の建立を命ずる詔勅をだしました。(省略)
明治初年の廃物希釈によって、國分寺の殆どが壊れました。
現在では、仁王像と多重層塔が當時の面影を殘ししています。
層塔には、「康治元年壬戌十一月六日」(1142)の銘があり、
大隅國分寺うの再興を祈願して建立されたものと考えられます。
(霧島市教育委員會「大隅國分寺跡」一部抜粋)
霧島市の國分の歴史の紹介でした。
■上記の寫真はすべて令和4年9月撮影
■霧島高千穂リゾートランドから約18㎞