戦後70年、彼方の英霊は何を思う-南九州市知覧町「知覧特攻平和會館」
- 更新日:2015年08月28日
- カテゴリ:歴史
霧島市から九州自動車道を利用して
「知覧特攻平和會館」に行ってきました。
ご存知の方も多いと思いますが、
南九州市の知覧町には第二次世界大戦末期に行われた
「特別攻撃」 作戦の陸軍航空隊の前線基地があった場所です。
大戦當(dāng)時、
多くの若者が片道分の燃料を積んで沖縄の空を目指し、
爆裝した飛行機(jī)もろとも敵艦に體當(dāng)たり攻撃をした、
人類史上類のない
「特攻」作戦で命を落とした隊員の遺品や関係資料を
この平和會館は展示しています。
敷地內(nèi)には
特攻平和観音堂や知覧町護(hù)國神社などが あります。
「知覧に殘された戦爭の記憶:1945年沖縄戦に
関する特攻関係資料群」として南九州市は2017年
ユネスコ世界記憶遺産の登録を目指しています。
館內(nèi)には1036柱の特攻隊員の遺影が出撃順に
掲げられ、彼等が殘した遺書や辭世の句、家族への手紙、
遺品などが展示されています。
陸軍4式戦闘機(jī)“疾風(fēng)”(はやて)や日本で唯一現(xiàn)存する
陸軍3式戦闘機(jī)“飛燕”(ひえん)や海底から引き上げら
れた“零戦”(海軍零式戦闘機(jī))など戦爭関係資料が展示
されています。
また、當(dāng)時の様子を知る語り部が、現(xiàn)在も続く遺族の
方々との交流を通じて、その聲や思いを隊員の遺書や
手紙になぞって語ってくれます。
當(dāng)時の人たちは本當(dāng)に強(qiáng)かった。
己の運(yùn)命を嘆くどころか日本と國民を守ることに誇り
を持ち、周囲に優(yōu)しく家族に感謝し笑って出撃する姿
には涙が止まりません。
老年の語り部は、今を生きる私たち日本人へ伝えます
「生きたかった若者たちの想い、なに人も同じ心を持って
接することの大切さ、思いやりの心、家族愛、絆…」
知覧の人々は、
作戦に參加する特攻隊員の日常の世話をしていました。
知覧高等女學(xué)校の生徒たちは勤労動員され、
「なでしこ部隊」として隊員の洗濯、裁縫、食事、
宿舎の掃除など身の回りのお世話をしました。
隊員の家族や親族との面會などに利用した食堂?旅館
の女將さんらは「お母さん」と慕われていました。
そんな地域住民との親交や交流が生まれる中、
知覧の人々はどんな気持ちで特攻隊員の出撃を見送った
のでしょうか。
戦後70年、
私たち日本人はどこに向かおうとしているのでしょうか。
彼らの生と死は、いまの日本が失いかけている何か、
大切なことを訴えているかのように私には思えました。
※撮影年月日/全て平成27年8月
知覧特攻平和會館
南九州市知覧町群17881番地
お問合せ 電話 0993-83-2525
■交通アクセス/ロイヤルシティ霧島妙見臺より約84㎞
車で約2時間6分(九州自動車道経由)